反レイシズム関連を中心に適宜更新します。


by ryangyongsong

6/24東京女子大学授業QA①「反レイシズムという「共通言語」とは?」

去る6月24日には東京女子大学の授業に招かれ、ヘイトスピーチ被害実態についてお話ししました。約50名ほど受講生がおられましたが、皆さん真剣に聞いてくださいました。
当日質疑応答に十分時間が割けなかったこと、また寄せられた質問・コメントに非常に重要なものが多かったことから、このブログで少しずつ応答していこうと思います。
 ※6月29日の京都大学での授業に関してはこちら

第一回目の質問は次のようなものです。

Q「「共通言語」とは、つまりどのような認識を持てば良いのでしょうか? ①人権に関しては、侵害されたと感じること、また人権が侵害された際に本気で怒るような感情を持つようにとらえるということで合っていますでしょうか? ②、③も同様に考えてよろしいでしょうか?」

A まず、「共通言語」をもつ、とは、「認識」の問題ではありません。あなたの言う、「人権が侵害された際に本気で怒るような感情を持つ」こともその必要条件です。しかしそれだけでありません。
 私が「共通言語」という言葉で伝えたかったことは、マジョリティ/マイノリティを問わず社会の成員の間で成立している人権規範のこと、です。要するに差別を「差別だ」と「見える化」する関わり方を伴った言葉、ということです。それも身の回りレベルだけでなく、社会レベルで差別を可視化するような、社会レベルで通用するという意味での「共通言語」です。

 以下、改めて授業で伝えきれなかったことも含めて、やや体系立った説明を試みます。
 (あなたのQに対して、端的に答えることは次回にいたします。)

 ちなみに上のQでいう①②③とは、①人権、②反レイシズム、③反歴史否定(修正主義)の三つの社会規範のことです。このQの趣旨を明確にするためには、授業で私が何をお話ししたのかを改めて書かねばなりません。

1.在日コリアンはヘイトスピーチ頻発下で深刻な被害に遭っているだけでなく、差別を「差別だ」と言語化する力を奪われている。

私は当日の授業でヘイトスピーチの被害が極めて深刻であること(見たその場で耐えられず吐くとか、不眠症になるとか、その場に行くことができないとか、日本人が怖くなる、等々)を話しました。
しかし同時に強調したのは、深刻な差別の被害を受けているにもかかわらず在日コリアン(特に若者)は多くの場合、差別を「差別だ」と抗議することができないでいること、もっといえば差別を「差別だ」と認識することあるいは言葉にして他者に伝えることができない(あるいは避ける)ということでした。

つまりヘイトスピーチ頻発下では、差別が深刻であるだけでなく、差別を当事者が「差別だ」と抗議したり言語化することが極めて困難である、という二重の問題がある、ということです。

だからもしもみなさんの知人・友人に在日コリアンがいたとして、その人が「自分は差別されたことないよ」とか「ヘイトスピーチについては騒ぎすぎだと思う」とか言ったとしても何の不思議もありません。実際に直接的被差別経験がない場合もゼロでないでしょうが、深刻な差別を受けていても言語化できないだけかもしれないのです(それどころか後述するように在日の多くは自分がコリアンであるということを言語化する力をも奪われています)。

これは在日コリアンが「弱い」からでしょうか。そうではありません。特定の社会的条件が当事者の力を奪っているからです。その特定の条件とは何でしょうか。

2.在日コリアンがレイシズム(差別)を語るのに必要不可欠な3つの「共通言語」――①人権規範、②反レイシズム規範、③反歴史否定規範(反歴史修正主義規範)

それが、①人権、②反レイシズム、③反歴史否定という三つの社会的規範が日本社会ではほぼゼロであること、です。

社会的規範とは、簡単に言えばここでは、日本社会のメンバーが依拠すべきとされる物事の判断基準やルールのこと、です。①について言えば、人権規範とは、何が人権侵害で何がそうでないのかという判断基準のことであり、かつ人権侵害は社会が撲滅すべき悪として関わるべきだ、という意味を伴います。

要するに戦後日本には、①人権侵害は許さない、②レイシズムは許さない、③歴史否定は許さない、という最低限の社会規範さえ存在しない先進国唯一の特殊な社会なのです。

3.社会的規範=共通言語。「セクハラ」という言葉を例に

 社会的規範という例がイメージしにくいと思いますから、「セクハラ」という言葉を例に説明します。
 いまでこそ日本では「セクハラは犯罪」という認識が(少なくとも建前では)常識といってよいレベルになった、といってよいでしょう。しかしこれは「自然なこと」ではなく、セクハラをなくし、違法化を求める「反セクハラ」の力こそが、(不十分であるとはいえ)社会的規範の成立を勝ち取ったわけです(第一にその言葉を使って女性が差別と闘ったこと、第二に法律・政策がつくられたこと等が、「セクハラ」という言葉に力を与え、「セクハラは犯罪」という社会的規範が不十分ながら成立)。
 重要なことは「セクハラ」を可視化させたのは、「反セクハラ」という社会的規範のほうであって、性差別実態それじたいではない、ということです。つまり「セクハラ」は戦後日本社会でずっと横行してきましたが、ずっと「差別」だとはみなされませんでした。しかし80年代後半から「セクハラ」という言葉を与えられてはじめて「差別だ」と社会的に可視化されました。これが反人権侵害という社会的規範が、人権侵害を言語化するために必要な社会の「共通言語」となる、ということの意味です。
 もちろん「セクハラ」は性差別を見えるようにする共通言語としては、欧米と比べればたいへん不十分です。ですから日本では「セクハラ」だけでなく性差別そのものを違法化させるべく社会的規範をアップデート(更新)してゆく必要があります(「セクハラ」や「マタハラ」など最も深刻なレベルの性差別だけでなく、性差別そのものを違法化すること)。これが「共通言語」を新しくつくりあげてゆく、ということの意味です。

4.在日コリアンとは、①日本のマイノリティであり、②在日外国人の一員であり、③旧宗主国にすむ旧植民地出身者である。だから①人権、②反レイシズム、③反歴史否定の社会規範が存在しない限り、マジョリティと相互理解などできない。

 冒頭で指摘した、日本で欠けている三つの人権規範のうち、「セクハラ」は①の、それも一例にすぎません。このように①人権一般、②レイシズム、③歴史否定が「社会が闘うべき悪」とみなされるような常識をつくりあげること。これが三つの「共通言語」を闘いとるということの意味です。
 ところでなぜ①反人権侵害、②反レイシズム、③反歴史否定の三つなのか。それは在日コリアンが、①マイノリティであり、②在日外国人の一員であり、③旧宗主国在住の旧植民地出身者だからです(①②③がそれぞれに対応していることはおわかりかと思います)。
 在日コリアンは①マイノリティです。人権規範が無い状況で、マジョリティとマイノリティが相互理解を行うことは絶対に不可能です。なぜなら人権規範が無い以上、人権侵害・差別が起きた時、それもまた「一つの言論」として尊重するという歪んだ「平等」規範に、マジョリティもマイノリティも全員が従うよう強いられるからです。マイノリティが差別もまた「一つの立場」として尊重し「平等」に接することを強いられる条件下で、「相互理解」を目指そうとなると、自分を押し殺す以外に途がありません(その反応には冗談ではぐらかしたり、笑って受け流したり、傷つかないフリをしたり、マジョリティ側に過剰適応するあまりマイノリティ側を攻撃したりなど、数えきれないバリエーションがありえます)。
 在日コリアンは①マイノリティのなかでも、②在日外国人です。つまり日本に住む、外国にルーツを持つマイノリティだということです。ゆえに反レイシズム規範が存在しなければ十全に自己を承認することはできません(ここでいう「外国人」とは国籍・法的地位で決められるものではありません。日本国籍保持者やダブルの方を含めています)。その点で在日コリアンは、在日ブラジル人やベトナム人と同じです。
 在日コリアンは②在日外国人のなかでも、③旧宗主国在住の旧植民地出身者です。ゆえに反歴史否定規範がなければ、自分を十全に承認することができません。
 こうしてみると、①人権規範、②反レイシズム規範、③反歴史否定規範の三つの社会的規範は、「共通言語」となるだけでなく、在日コリアンにとって「マイノリティの身を守る盾」となることもわかると思います。逆に言えば在日コリアンの若者は自分の存在を肯定する「盾」が一つもない、状況に追い込まれている、ということです。つまり自分の存在が常に社会から否定(疑問視・異常視)されているときに、自分の身を守る術がない、ということです。

 在日コリアンが自分(たち)の被差別経験を言語化するには、少なくともこれら3つの社会規範が成立していなければ、言語化されようがない、ということです。そのためヘイトスピーチが社会問題にされるはるか以前から、在日コリアンは深刻なレイシズム被害にあってきたにもかかわらず、それらはほとんど日本社会で通用する形で言語化されたことがなかったわけです。

 (なおこの「共通言語」はマジョリティ/マイノリティ間で「通ずる」としても、その理解・解釈・意味の重みという点では両者の間に深い溝が残念ながら存在します。男性が「セクハラはいけないもの」と建前では言ったとしても(これは「共通言語」が効いているから)、「(態度や容姿などをあげつらい)女性の側にも非がある」などとジェンダー的な偏見をもっていたりすることがあるのと同じようにです。「共通言語」の成立がマジョリティ/マイノリティの対立を解消する者では決してありませんが、両者の対立の形を変えることができる、ということです)

 ではどうしたら、反レイシズムという社会的規範を闘いとることができるのでしょうか。
 この点については次回お答えします。



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by ryangyongsong | 2016-07-08 16:39