反レイシズム関連を中心に適宜更新します。


by ryangyongsong

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上野千鶴子の「平等に貧しくなろう」が多くの批判を浴びている。
移住連から公開質問状が出され、それへの上野による回答を受け、下記の再批判が移住連から出されている。
上野の議論の誤謬を的確に批判している。だが他方で違和感も覚えた。

II 「回答」に対する懸念
2.上野さんと「新しい人種主義」の近似性

の項である。

記事は上野の回答を「新しい人種主義」と極めて近いと批判している。言いたいことはわかります。

だが、上野の回答は、日本ではレイシズムそのものとして機能する、と言うべきだと思う。
なぜここにこだわるかというと、「新しい人種主義」という欧州的カテゴリを持ち出すことで、重要な問題が見落とされると思うからだ。実践上決して無視してはならない、欧州と日本の社会的文脈の違いがみえなくなるのではないか、と危惧する。

以下、記録も兼ねて問題点を指摘しておきたい。


 上野さんの回答を読んで、私たちが一番危機感を持ったのは、(現役の政治家ならマリーヌ・ル・ペンのような)欧州の極右が用いる新しい人種主義の論理ときわめて近いことでした(Balibar & Wallerstein 1990)。その論理に従えば、個々の文化的共同体は「差異への権利」を持つ、それを守るには国境を越えた文化の交雑を避けるべき、となります。フランスの極右は「多文化主義の真の擁護者」を自称していますが(Mudde 2007: 191)、それは移民を受け入れないのが相互にとって幸せという理屈によります。


この「新しい人種主義」はバリバールが述べているものであろう。
つまり1990年の、フランスを念頭においての議論である。

ということは、

1.1972年法という差別禁止法が成立して以後の話。更にいえば、SOSラシズムなどの反レイシズムムーブメントが社会的成功をおさめたあとの話
2.極右としての国民戦線がいちおうはNGとされる文脈があっての話

だからこそフランスでは極右は、「いや、自分は極右じゃありません。差別もしてません。ただフランスはフランス人のもの、と言いたいだけ」等という、自分はレイシストじゃない的な言い訳を使わなければならない。

そういう状況で、本質主義的なレイシズム(DNAだとか血だとか頭蓋骨だとか持ち出すタイプの)ではなく、「差異主義的」で文化主義的なレイシズムをどうするか、が問題になったのではなかったか。

要は、社会的圧力によって、差別禁止法と反極右世論をかいくぐってうまく差別する高等戦術を、フランスの極右も身に付けざるを得なかった、そういう時代の新しいレイシズムを問題にしている概念じゃないのか。その戦術とは、

A.移民政策論に偽装して差別を煽動(差別でなく政策論!)
B.宗教批判(ヴェールを学校に持ち込むムスリムはライシテ(政教分離)に反する)
C.反グローバリズム(フランス人のフランスを!EU反対!)

などなど。だから国民戦線党首マリーヌ・ルペン(子)は、ホロコースト否定を繰り返す父ジャン・マリ・ルペンを除名しているわけで。


だが、日本はまるで状況が違うのだ。上のフランスの状況と対比してみれば、

1.戦後ずっと差別禁止法ゼロ。SOSラシズムのような国民規模での反レイシズム運動が社会を変えた経験もゼロ
2.極右規制もゼロ。(というより右翼と極右の境目がどこなのか、誰もわからない国!)

なのである。

要は、欧州由来の「新しい人種主義」とは、反レイシズム規範がつくられた国でのレベルの高いレイシズムを批判する概念である。

だが、これだけではまだ、この概念をつかって上野を批判することに何の問題があるか、よくわからないかもしれない。
だから次の日仏の違いもおさえねばならない。

フランスは、

3.旧植民地出身者(アルジェリア)には独立後国籍選択権プラス国籍法が生地主義なので「移民」二世三世もフランス国籍
4.外国人政策、移民政策(統合)はいちおうは存在する(反差別政策とか、移民受け入れとか、難民政策とか)

だから「移民」二世・三世はフランス国籍者であり、かつ統合政策も存在は、する。そういう状況で、先の極右が「高等戦術」をつかって「フランス人のフランスを」とか「移民政策の見直しを」とか言うことで、差別は煽動される、そういう状況が問題となっている。

だからこそ「移民」という言葉が外国で生まれその後フランスにやってくる人を指すにもかかわらず、実社会ではフランス国籍の外国ルーツ二世・三世などを指す語として、フランス国籍者にもかかわらず「移民」として差別される、という事態がうまれるわけだ。

そういう状況を問題にするという文脈のなかで、「新しい人種主義」とか「差異主義的な人種主義」という概念がつくられている。

だが日本はこの状況とまるで違う。

3.旧植民地出身者(朝鮮)は1952年に国籍はく奪し、国籍法は血統主義。だから3世だろうと4世だろうと外国籍(帰化しない限り)
4.外国人政策、移民政策(統合)は存在しない。だから入管法制が外国人政策の代用物となっている。

ここからわかることは日本は入管法制がレイシズム法として機能するということだ。アパルトヘイト法制として入管法が機能するといってよい。


この主張は、たとえ「国内に在住している外国人に出ていけということを意味しません」と留保をつけたとしても、「出ていけ」という効果を持ってしまいます。移民が差別され周辺化するのは目に見えているから来させてはならないという言説は、日本で差別される外国人は帰国したほうがよい、という言説に容易に換骨奪胎されてしまうでしょう。というのも、「移民受け入れ」に反対する主張は、前述のように非現実的であるだけでなく、「移民・外国人=否定すべき存在」というメッセージとして機能するからです。


私もこの批判の結論には異論がない。
だが、上の日仏の違いをふまえれば、同じ移民受け入れ反対という言葉ひとつとっても、全く意味が違ってしまうことは明らかではないか。

フランスでは移民反対論は、移民政策=国境の壁問題として議論されている。にもかかわらず実際には、フランス国籍の3世4世らへの差別になる、煽動効果をもつことが問題となる。

対して、日本では移民反対論はまったく違う意味をもつ。そもそも移民など受け入れる政策が存在しない。公的な外国人政策・移民政策がなく、入管法がそれを代用している状況下で、移民反対ということは、ダイレクトにレイシズム煽動になるのではないか?

(この点については拙著で1952年体制という概念の問題として整理した)

グローバル化のなかで先進国内部で増大するレイシズム・極右現象。
そういう普遍的文脈という意味では、日仏もたしかに共通しているといえる。
だが日仏にはそれが、それぞれ特殊な形で現象している。

その特殊性に注意を払うことが実践上決定的である。なぜなら日本の特殊なレイシズム現象がなぜ・どのようにして現われるかを解き明かしてこそ、どうやったら状況を変えられるかがわかるからだ。

その苦しい作業を怠り、「抽象的普遍性」に逃げ込んだことこそ日本の知識人の「罪」だったのではないか。上野千鶴子を批判するならばその点に切りこまねばならないのではないか。



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by ryangyongsong | 2017-02-22 23:57
透析患者への差別煽動を行った長谷川豊が日本維新の会から立候補することについて、2回続けて記事を書いた。

http://yongsong.exblog.jp/26612395/

http://yongsong.exblog.jp/26613657/

非常に深刻なので、こまめに論点を挙げていきたい。

前回は、次の常見氏の記事を批判したので読んでいただきたい。


あれだけ炎上してしまった彼だが、立候補する権利はある。日本維新の会が誰を擁立しようと勝手だ。

私は民衆の意志を信じて、「正気の沙汰ではない」という言葉を保存しておくことにする。



このコメントには、常見氏のみならず、差別・レイシズム・極右への日本型リベラルの対応のまずさが、集約的に現われている。それだけに批判する価値がある。

そのためにも、差別への対応の、日米の違いをみることは重要である。今回はその例を挙げようと思う(長谷川本人の対応については時間がないので他で扱う)。

私は前回の終わりに次のように書いた。

私と、常見氏の文章のあいだには、ある見過ごせない断絶が露呈しているからだ。
それは、欧米型人権規範(反レイシズム規範)と、戦後日本型社会規範との、断絶なのである。
両者は、水と油である。
前者の欧米型人権規範は絶対的正義、後者の戦後日本型社会規範は(人権規範なき)日本型の相互理解・コミュニケーション・「和」である。


今回はこの規範の違いについて、差別が起きた時に行うべき対処・謝罪例をもとにみていこう。


4.


長谷川が去年、番組を降板した件についての、テレビ大阪社長のコメントである。

事態を重く見た同局は同29日、「9月19日のブログでいき過ぎた内容があり、多くの人に著しい不快感を与えた。その後、タイトルを修正したとはいえ、何よりも言葉を大切にしなければならない報道番組のキャスターとして、不適切な発信と言わざるを得ないと判断した」として、翌30日放送からの番組降板を発表した。
下線部に注意してほしい。

長谷川がなぜ番組を降板したのか。社長のコメントではまったく不明である。

1.「いき過ぎた内容」とは何か。不明である。何が、どう行き過ぎたか。
2.「多くの人に著しい不快感を与えた」。これも不明。
3.「キャスターとして」「不適切な発言」。これも不明。

長谷川豊がなぜジャーナリスト失格なのか。
テレビ局としては、次の事ができたはずであったし、すべきであったはずだ。

①事件の真相究明(ブログ記事の何が間違っているか。なぜそういう記事を書いたか。)
②どういう点で問題なのか(透析患者への人権侵害・差別煽動、福祉・医療制度利用者へのバッシングの煽動。その社会的効果の検証。)
③処分(降板させるだけでなく、どういう理由で降板させるのか。その規準とは何か。以上の公開)
④局としての再発防止策(アナウンサーへの研修、局としてのルール制定、透析患者の置かれた状況を検証する番組を放送するなど)

管見のかぎり、それらは、まったくない。
だから、単に降板させたところで、じつは何の解決にもなっていない。

差別・人権侵害が起きたとき、重要なのは「誰かに責任を取らせて終わり」ということにしないことだ。
そうではなく、社会全体の反差別・反人権侵害ルールや規範の制定・更新というところにつながらなければ意味がない

日本社会では差別・人権侵害がおきたとき、話し合い重視でルール制定を嫌う、戦後日本型の社会規範に、無意識に沿った形でコトが処理されてしまう。だからいつまでたっても、差別・人権侵害は不祥事としてのみ処理されてしまうわけだ。

欧米型反レイシズム規範がある社会では、謝罪とはどういう形で行われるか。


上の記事は、2015年3月に米国のオクラホマ大学で起きた学生による差別事件に関する記事(日本語の解説は下記)。黒人を差別する歌を歌った学生が、その映像がネットで公開され、発覚し、学内で除籍処分となった事件だ。

ここで注視してほしいのは、元学生(除籍後)が公開で事件後に謝罪していることだ。その発言をみると抽象的に「不適切だ」とか「傷つけた」とかではなく、はっきりと差別したことを悔い謝罪していることがわかる。
I never thought of myself as a racist–I never considered it a possibility, but the bottom line is that the words that were said in that chant were mean, hateful and racist. I will be deeply sorry and deeply ashamed of what I’ve done for the rest of my life. Some have wondered why I haven’t spoken out publicly. The truth is I’ve had a mix of pain, shame, sorrow and fear over the consequences of my actions.”


こういうやり方であれば、差別・人権侵害が起きたあと、謝罪することがたいへんよい社会的効果をもつ。差別・人権侵害は社会的に許されない悪として、正義として、社会的規範が構築・更新される

さらに米国には64年公民権法以降、強力な差別禁止法があり、その後も幾多の改正がなされている。
社会的な反差別規範が法律によって承認されているということ。そのなかで上のような謝罪は、規範の承認・更新・強化という意味合いを持つ。だから謝罪には社会的意味が生じることになる。

このような具体例はもっと日本で紹介されるべきなのだと思う。

日本型の謝罪とは、根本からいって不祥事対応である。①何が起きたのかもあいまいで、②なぜ謝るのかもわからないから、③謝ってもそれがどんな意味があるのかもわからず、④再発防止にもつながらない。
日本には一般に差別禁止法がほぼゼロと言ってよいので、社会的な反差別規範が法律によって承認されるほど強くもない。そういう状況で、謝罪は、社会的な反差別規範の形成に結びつくはずがない。つまり、

日本型の謝罪・不祥事処理にマジで意味がないのである。

このことは万人が気づいているだろう。だからこそ、逆張り的に、社会運動が差別や人権侵害を批判することを、揶揄したりする人々が出て来るのだろうと思う。
だが、私たちが求めているのは、100%その場しのぎで後々には何の役にも立たない日本型謝罪ではない。
戦後日本には存在しなかった、欧米型の人権規範の構築なのである。

長谷川豊が透析患者への差別について、米国型のような謝罪を行っていないことは言うまでもない。「再チャレンジ」など愚の骨頂である(「再チャレンジ」したいなら、庶民と同じく、ハローワークに通ってはいかがか)。

長谷川豊にはいまからでも透析患者への差別煽動に対して欧米型の謝罪を要求していく必要がある。
そしてそういうことが実行されない限り、かれに立候補する資格などあるはずがないのである。

前回の問題にもどれば、だからこそ常見氏のような角度での差別批判は、まとはずれであるだけでない。残念ながら日本では意味が全く無い(日本型社会規範を擁護するという意味以外は)。

時間がきたので、この辺で。

繰り返すが、この点は大変重要だ。
差別禁止法制がなく、社会的にも反差別規範が存在しない日本では、とりわけ欧米型の人権規範を構築する課題が重要なのである。



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by ryangyongsong | 2017-02-08 13:48
長谷川豊が日本維新の会から正式に出馬すると発表された。透析患者への差別を煽動する長谷川の出馬に、当然多くの批判の声があがっている。

ただ、そのような批判の声に、次のような苦言があった。

引用すると、

「正気の沙汰ではない」というコメントが散見された。

気持ちは分かるのだが、私の考えは少し違う。

この手の人は、最後は政治家を「目指すしかない」状態になるものだ。さらにそれを持ち上げようとする政党も現れてもおかしくはないわけだ。あの「人工透析患者殺せ」的な言説にしろ、支持してしまう政党と有権者はいるわけだ。テレビで局アナで、最近までレギュラーを何本も持っていた人は便利なのだ。

むしろ問われるのは、有権者の正気であり、民主主義だろう。ポピュリズムの時代だ。民主主義の副産物、コストとしてのポピュリズムが世界を席巻している2010年代。「この人が立候補しちゃうのね」「当選しちゃうのね」ということが世界中で起こっている。

今度の衆議院選においても、唖然とするような立候補者が登場することだろう。

あれだけ炎上してしまった彼だが、立候補する権利はある。日本維新の会が誰を擁立しようと勝手だ。

私は民衆の意志を信じて、「正気の沙汰ではない」という言葉を保存しておくことにする。彼が当選することがあったら、こう言うことにしよう。

「正気の沙汰ではない」と。

この記事にはいくつもツッコミどころがある。

1.

たとえばポピュリズム云々のくだり。拙著第五章で書いたとおり、欧州で「極右ポピュリズム」とよばれているのは、日本の極右とはまったく違う質をもつ。
欧州は極右・レイシズム・歴史否定への法規制や社会の猛烈な批判によって、従来の極右は、暴力的な活動や露骨な差別ができなくなっている。そのため宗教批判やグローバル化批判という「高等戦術」を使っている。それが「極右ポピュリズム」だ。
日本の場合、ポピュリズム以前である。なんの差別禁止法もなく、極右や歴史否定の規制もない。社会的批判も極めて弱い、先進国唯一のレイシズムフリー国家なのだ。
だから欧州の極右と日本の極右は、じつは無条件に比較できるものではない。

だからこそ、長谷川豊のような透析患者への差別煽動を開き直る人物が、公的な政党から立候補できるのである。

2.

だから、常見氏のこの箇所は特にいただけない。

あれだけ炎上してしまった彼だが、立候補する権利はある。日本維新の会が誰を擁立しようと勝手だ。
いや、欧州のようにレイシズムや極右がNGになっている社会では、こんな人物はおいそれと立候補できない。相当な社会的批判にさらされるので、ここまで易々と立候補できない。レイシストはそういう次元で叩かなければならないものとされる。

上の一文は、次の三つの重要な問題をスルーしている。

1.確信犯的レイシスト・極右には立候補する途を開いてはならない。社会的には絶対に許すべきでない。

2.公的な政党がレイシストを擁護することは差別を煽動するため、人種差別撤廃撤廃条約に反する。

3.日本維新の会じたいが極右・レイシズム・歴史否定の煽動を行っている政党。つまり普通の政党ではない。


常見氏は著名人として、すぐにでも長谷川氏を批判すべきだと、私は思う。



と、こう書いたところで、日本社会では「???」という反応が返ってくるのではないだろうか。

「常見氏は長谷川豊氏を批判しているはず。ただ、選挙に出る自由だけは誰であろうと否定してはならず、差別と極右に反対したいなら、選挙結果で示せばよいではないか、と言っているだけではないか。そこまで批判して、いったい何になる?」

そういう反論が返ってくるのだろうと思う。

しかし、この批判には意味がある。
私と、常見氏の文章のあいだには、ある見過ごせない断絶が露呈しているからだ。
それは、欧米型人権規範(反レイシズム規範)と、戦後日本型社会規範との、断絶なのである。
両者は、水と油である。
前者の欧米型人権規範は絶対的正義、後者の戦後日本型社会規範は(人権規範なき)日本型の相互理解・コミュニケーション・「和」である。

何が問題なのか。

それは、戦後日本型の社会規範が、欧米型の人権規範と、真っ向から対立する点にある。
なぜなら戦後日本型の社会規範のキモは、バラバラの個々人が、たがいに平等に、相手に伝わるよう努力して、話し合いの中で「自然に」ものごとを進めていく点にあるからだ。いいかえれば欧米型の、社会が普遍的に守るべき特定の絶対的なルールは、個人の自由という見地から絶対につくらせないという規範だといってよい。

と、こうやって書いても、ピンと来ないと思われる。
だが時間がないので、機を改めて書くことにしたい。



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by ryangyongsong | 2017-02-06 21:35
ニュースを見て驚愕した。

 日本維新の会は次期衆議院選挙で、千葉1区の公認候補者として元フジテレビアナウンサーの長谷川豊氏を擁立する方針を固めたことがわかった。

 長谷川氏は元フジテレビのアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーとして活動するかたわら、自らのブログで憲法改正やカジノを含むIR(=統合型リゾート施設)の導入に積極的な姿勢を示していた。日本維新の会の幹部の1人は「維新の会と考え方が近く、知名度もある。関東に維新を根付かせたい」と話している。
これは非常にまずい。なぜか。

長谷川豊は、2016年9月19日に自身のブログで、「人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」なるタイトルで記事を投稿している。抗議を受けてもなお、タイトルを変えただけで、いまだに訂正もせず、同じ記事を掲載し続けている。


内容の批判については既に多くの記事があるので、ここでは措きたい(一例として下記記事を参照)。



ところで私が今回問題にしたいのは、長谷川豊の思想や立場ではない。

日本維新の会という、公的な政党が、彼のような透析患者への悪質な差別煽動を行いTV番組を降板した人物を、正式に立候補者として選び、選挙戦に出すことの問題である。

一般庶民が差別を行うのと、政治家が差別を行うのとでは、まったく社会的影響力が違う。政治家が差別することは、社会全体で差別を煽動する極めて大きな効果を発揮してしまうからだ。

具体的には次のことが起きうる。

1.公的な政党が長谷川を公認することで、長谷川が行った透析患者への差別煽動に、「正当性」をあたえ、お墨付きを与える。

2.選挙戦に実際に出ることになれば、長谷川が行った透析患者への差別煽動について、広範な宣伝機会を与えることになる。それじたいが差別煽動効果を生む。しかもそれが、公的な選挙で行われるので、「正当化」されてしまう。

3.その結果、選挙を通じて、政治空間から市民社会全体にむけて、強力な差別煽動が行われる。透析患者が医療を受けることを自粛したり、医療機関・企業・学校・家庭などあらゆる社会空間で、透析患者への差別が引き起こされる。

私はこのことを真剣に危惧している。

このことを、拙著では「政治空間からの差別煽動」という表現で説明している。解説図をつくってみた(拙著75頁)。

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この「政治空間からの差別煽動」こそ、日本でヘイトスピーチを頻発させてきた本当の原因であった。

維新の会は、今すぐ長谷川豊の立候補を取りやめるべきだ。そして差別主義者を立候補者にしたことについて釈明と内部調査、その原因を究明・公開すべきだ。

ヘイトスピーチはなにも、在日コリアンだけをターゲットとするのではない。長谷川豊のような人物を政治家にすることは、社会全体の差別を煽動し、在日だけでなく、透析患者や貧困者など福祉を必要とする人々をも、「死んでよい」「殺してもよい」者とするような社会的圧力を生むだろう。


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by ryangyongsong | 2017-02-06 12:13
前々回と前回に続き、米国のトランプ大統領によるヘイトスピーチ(差別煽動)や、難民受け入れ停止措置・ムスリム入国停止措置について書いていきたい。

くりかえしになるが、これらは、米国の「日本化」だ。残念ながら日本は先進諸国のなかで、レイシズム(人種/民族差別)の酷さにかけては最先進国だといえる。

だが、なぜ、そう言えるのか。疑問に思う人もいるだろう。

そういう方にこそ、次の問いを考えてもらいたい。

米国でトランプ発言が問題化されているレベルは、どの水準なのか

米国で政治家が「レイシスト」として批判される水準をみてみれば、「日本化」という表現でいいたいことはわかると思う。

1.トランプの選挙中の発言

実際にトランプが行ったヘイトスピーチをみてみよう。下記の表は、ARICの学生学生ボランティアがまとめたものだ(元記事はこちら)。すべて選挙前の発言である。


攻撃対象

発言

日時・場所

黒人

・トランプ氏に抗議する黒人をリンチする自身の支持者に対して「そいつをつまみ出してくれ。放り出せ!」と発言。その後の取材でも「あの男は痛い目に遭って当然だ。なにしろひどい態度だったからね」。[1]

・2015年11月21日、アラバマ州バーミングハムの自身の集会にて。

・実在しない「犯罪統計局」を出所とする偽「データ」において、白人のアメリカ国民が殺された際に、その加害者の81%が黒人だと主張(FBIの2014年の統計によれば、実際の数字は15%。逆に白人被害者の82%が白人に殺されている)。[2]

・2015年11月22日、Twitter上(現在はリンク先のツイートが削除)。

・KKKの元幹部デーヴィット・デューク氏の支持表明に対して「デューク氏からの支持を断るか」と問われ、(デューク氏という人物について)「何も知らない」「白人至上主義者のことは何も知らない」「どの団体のことを言っているのか分からない」と支持を否定せず(のちに批判を受け支持を拒否)。[3]

・2016年2月28日、CNNのインタビュー番組にて。

移民・難民

・「メキシコはベストではない人々を送り込んでいる。麻薬や犯罪を持ち込むやつらだ。彼らはレイピストだ、中には善良な人もいるかもしれないが」

・2015年6月16日、出馬会見にて。

・(シリア難民への対応について)「もし私が勝利したら、彼らは帰国することになる。彼らには帰ってもらうよ、本当に」

・2015年9月30日の選挙集会にて。

ムスリム

・(イスラム教徒をデータベースに登録すべきだと思うかとの質問に)「それは間違いなくやるつもりだ。絶対にやる。データベース以外にも、たくさんのシステムがあるべきだ」。

・2015年11月19日、記者からの質問に対して。

・「ドナルド・J・トランプは、何が起こっているのかをわが国の指導者らが把握できるまで、イスラム教徒の入国を全面的かつ完全に禁止することを呼び掛ける」[4]

・2015年12月7日のカリフォルニア州の銃乱射事件を受けて。

LGBT

・最高裁が同性婚を合憲とする判決を覆すための判事指名について「真剣に検討する」。

・2015年6月26日、取材にて。

・(同性婚を認めた連邦裁判所判決について)「判断の破棄も含め、見直す必要がある」

・2016年1月末の集会にて。

・(しかし、その後「自分が大統領になったら、LGBTの市民を憎しみに満ちた異質なイデオロギーによる暴力や抑圧から守るために何でもする」と発言。ただ、同日採択された共和党の党綱領には「州による同性婚の禁止を違憲とした2015年の最高裁判決を批判する」と記載されている。)[5]

・2016年7月の共和党全国大会にて。

反ユダヤ

・ヒラリー・クリントン前国務長官の顔写真と並べて、ユダヤ教やユダヤ人を象徴する「ダビデの星」の意味を持つ六角星を配置し、そこへ「史上最も腐敗した候補者」という文字を書き込んだデザインの写真をツイート。[6]

・2016年8月3日、Twitter上にて。

女性

・共和党の大統領予備選討論会で司会を務めた米フォックス・ニュースのメーギン・ケリー氏を批判して「彼女は、ありとあらゆるばかげた質問を私に投げ掛け始めた。彼女の目から血が流れ出ていたのが分かったよ。彼女のどこからであれ血が出ていた」

・2015年8月7日、番組後にて。

・「妊娠中絶を受けた女性は刑罰の対象にすべきだ」(その後、批判を受け「法的責任を負うのは女性ではなく、違法行為を女性に対して行った医師などになるだろう。この場合、女性は子宮内の生命と同じ被害者だ」と発言を修正。)[7]

・2016年3月30日、NSNBCのインタビューにて。

・自身が出演していたリアリティ番組の2005年の映像で「スターなら、女性はやらせてくれるんだ」「プッシー(女性器を指す俗語)をつかんでね。何だってできる」などと発言。[8]

・2016年10月7日、ワシントンポスト紙が報道。


(引用終了)

 いずれも酷いとしか言いようがない。特に、

・「メキシコはベストではない人々を送り込んでいる。麻薬や犯罪を持ち込むやつらだ。彼らはレイピストだ、中には善良な人もいるかもしれないが」


 これは、メキシコからの入国者と、そして(ここが重要なのだが)メキシコや南米にルーツをもつ米国市民を、まるごと「麻薬」「犯罪」「レイピスト」に結びつけている。まぎれもなくレイシズムである。
 また、女性差別発言も酷い。

・共和党の大統領予備選討論会で司会を務めた米フォックス・ニュースのメーギン・ケリー氏を批判して「彼女は、ありとあらゆるばかげた質問を私に投げ掛け始めた。彼女の目から血が流れ出ていたのが分かったよ。彼女のどこからであれ血が出ていた」


 大統領予備選討論会の司会での振る舞いを、女性という属性に結びつけて非難する時時点でセクシズム(性差別)である。また文字で解説するのも腹立たしいが、「彼女のどこからであれ血が」云々とは、司会の女性が生理でイライラしていたと思わせる中傷であり、それを通じた女性差別(とその煽動)だ。

 上の表のような差別は、いずれも米国で大問題となり、猛批判を浴びたものだった。

 ところで注意してほしいのは、上の表にある次の発言だ。

・KKKの元幹部デーヴィット・デューク氏の支持表明に対して「デューク氏からの支持を断るか」と問われ、(デューク氏という人物について)「何も知らない」「白人至上主義者のことは何も知らない」「どの団体のことを言っているのか分からない」と支持を否定せず(のちに批判を受け支持を拒否)。[3]

・2016年2月28日、CNNのインタビュー番組にて。

 この発言でトランプは、「何も知らない」「白人至上主義者のことは何も知らない」としか言ってない

 あたりまえだが、「何も知らない」「白人至上主義者のことは何も知らない」という発言は、それじたい(直接の)差別発言では、ない

 なぜ、この発言が問題となるのか。

 それは、KKK元幹部のトランプ支持表明に対して、政治家として極右の支持表明を拒絶し否定し、差別を批判しなかったから、である。

 つまり米国では、政治家が差別発言をしたら批判が起きるのではない。
 そうでなく、極右・レイシズムやホロコースト否定など歴史否定について、批判的な態度を示さなかったら、政治家失格だと問題にされるのである。

 実はこの点が、日本の状況と全くちがうのである(後述)。

 まだある。上の表にある、次の発言にも注意してほしい。



・最高裁が同性婚を合憲とする判決を覆すための判事指名について「真剣に検討する」。

・2015年6月26日、取材にて。

・(同性婚を認めた連邦裁判所判決について)「判断の破棄も含め、見直す必要がある」

・2016年1月末の集会にて。

・(しかし、その後「自分が大統領になったら、LGBTの市民を憎しみに満ちた異質なイデオロギーによる暴力や抑圧から守るために何でもする」と発言。ただ、同日採択された共和党の党綱領には「州による同性婚の禁止を違憲とした2015年の最高裁判決を批判する」と記載されている。)[5]

・2016年7月の共和党全国大会にて。

 
 またしても、差別発言は一つもない。だが問題になっている。
 なぜか。

 それは、同性婚を認めた連邦裁判所判決について、破棄を含め見直しを明言したからだ。つまり、今まで米国が築いてきた反差別規範・法制を、後退させることが重大な問題だとして、社会的批判を浴びるのである。

 これも日本とは大違いだ。

 さらに注意してほしいのは、トランプが批判を受けたあと、

「自分が大統領になったら、LGBTの市民を憎しみに満ちた異質なイデオロギーによる暴力や抑圧から守るために何でもする」

 と発言している。差別だとの猛批判に耐えられず、セクシャルマイノリティへの差別・暴力には「反対する」とコメントせざるを得ない状況に追い込まれたのである。

 
2.米国でトランプ発言が問題にされるレベル

 以上、トランプのヘイトスピーチをみてきた。

 米国でトランプ発言が批判されるレベルは、次の通りであることがわかる。

1.差別発言(差別語がなかろうが)を行った場合
2.極右・レイシズム・歴史否定派による支持を、政治家として、断固拒否しなかった場合
3.従来の米国が築き上げてきた反差別規範・政策・法制に反する場合

 に社会から猛批判を浴びる、ということだ。(もちろん程度の違いはあるだろうが)

 そしてさらに、猛批判に迫られて、

4.政治家として、自分が極右・レイシズム・差別・歴史否定に反対であるとコメントせざるを得ない状況に追い込まれる。

 とも言える(これは社会的批判の程度によるのだが)。


3.日本との比較――反レイシズムの二周目を走る米国と、反レイシズムゼロの日本

 以上のことから見えてくるものは何か。それは日本との反レイシズム状況の、決定的な違いである。
 上の4点に照らして、日本の状況を、ざっくりとまとめてみよう。


1.差別語があっても問題にならない 例)沖縄での大阪府警による「土人」発言

2.差別語がない差別発言は、さらに問題にならない

3.極右・レイシズム・歴史否定派による支持を、政治家として、断固拒否しなかった場合でも、問題にならない

4.(在日コリアンへの差別については)従来の日本が築き上げてきた反差別規範・政策・法制はほぼゼロである。だから問題にならない。

 そして、そのために、

5.政治家として、自分が極右・レイシズム・差別・歴史否定に反対であるとコメントせざるを得ない状況に追い込まれる、ということも、ない(例外的に問題化されたとしても、それは「不祥事」としてだけ問題になる。差別をなくす政策を自分もつくるため尽力したい、などとは絶対に言わないから、反差別規範がつくられることもない)


 このように米国と日本とでは、政治家の差別が政治問題・社会問題となるレベルが、まるで違う。なぜか。それは米国と日本とでは、同じ先進国といっても、国内で築き上げてきた反レイシズム規範・法制・政策のレベルの桁が違うからだ。次の表をみてほしい。




 米国と日本の反レイシズム法制には、決定的な違いがある。

1.米国は1964年の公民権法という強力な差別禁止法をつくりあげ、雇用・職場・教育・ホテル・レストラン等公共スペースでの差別を禁止した。基本となる差別禁止政策が存在する。(反レイシズム1.0)

2.だが米国はその後も、差別禁止法制をアップデートし続けてきた。たとえば90年ヘイトクライム統計法など。(反レイシズム2.0)

 それに対し、日本はいまだ基本となる差別禁止法さえない。つまり日本は反レイシズムゼロ社会なのである。

 このようにみると、トランプ発言がもつ意味もわかってくる。
 トランプのヘイトスピーチや排外主義を煽動する政策は、上のような米国型の反レイシズム2.0へのバックラッシュなのだ。
 差別をなくすための法制・政策が一定程度発達した社会で、じっさいに差別に猛烈に反対する議員・政党・マスコミ・ハリウッドスター・市民団体・ミュージシャンが大勢いる状況だからこそ、それらに対し、逆張り的に背いて見せるみせることに支持が集まるのであろう
 トランプ大統領やトランプ支持者が突き進む先にあるものはなんだろう。それは上に挙げた日本のような、反レイシズムゼロ状況ではないだろうか。


 (時間がないので、一旦ここまでとする。日本の反レイシズムゼロ状況について具体例を述べられなかったので、機を改めたい)。


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by ryangyongsong | 2017-02-04 21:25
昨日アップした記事を読み返していて、肝心なことを忘れていたことに気づいた。

トランプによる米国の「日本化」、とはいったものの、拙著『日本型ヘイトスピーチとは何か――社会を破壊するレイシズムの登場』(影書房)でそれはどういう文脈で書いたことだったのか。説明もなかったので、その点だけ補足したい(言葉は独り歩きするから)。当該部分を再掲する。

 米国でトランプがムスリム入国禁止を主張したり、フランスでFN〔国民戦線〕が台頭しつつあることは、たしかに極右が政治空間に浸透しつつあることと、それによる差別煽動が深刻であることを示している。だが注意すべきは、これらの現象は、むしろ「日本化」というべきものであるということだ。
 レイシズム規制も歴史否定規制も極右規制も何もない、先進国で唯一のレイシズム自由国家日本のように、欧米が徐々に変質しつつあるのだ。(拙著270ページ)

下線部に注意して読んでいただければ、文脈は明らかだと思う。上記の引用は、拙著第五章の2「上からの差別煽動」の、「欧州と日本のちがい――上からの露骨なレイシズム煽動ができる日本」(265~270ページ)の項の、結論部分だ。

そこでの議論をまとめた図を拙著から引用したい(266ページ)。

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「日本化」という表現で言いたかったことは、つまり、

1)米国のトランプ台頭やフランスでの国民戦線台頭は、「極右が政治空間に浸透しつつあ」り、「それによる差別煽動が深刻であること」を示す。
2)だがそれはむしろ「日本化」である。
3)というのも日本は、レイシズム規制・歴史否定規制・極右規制も何もない、先進国で唯一のレイシズム自由国家だから。欧米がそのように変質しつつある。

ということだ。

この点は日本で反レイシズム規範をつくりあげる実践にとって、決定的なポイントとなると考えている。

なぜか。重要な理由が2点ある。

1)差別・極右の増大にとって政治空間の差別煽動効果こそ決定的に重要だから。日本ではそれがヘイトスピーチ頻発を生み出したから。
 庶民が差別をするよりも、政治家や国が差別することのほうが、ケタ違いに危険。政治による差別煽動効果は、庶民の差別煽動と比べものにならない。

2)政治空間への差別・極右の浸透を防ぐのは(せめて欧米水準の)国内反レイシズム規範。しかし日本にはそれがゼロだから。
 そのため醜悪なヘイトスピーチには反対世論が形成されても、ヘイトスピーチを生み出す政治による差別には批判が向かわない。

政治による差別煽動効果を抑制することと、そのためにも反レイシズム規範を可及的速やかにつくるための社会運動をつくりあげること。極右台頭に社会が破壊されることを防ぎたいならば、日本という「足元」では絶対に避けて通れない(50年遅れの)初歩的課題だ。

上の図9の他の説明は、機を改めて行いたい。

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by ryangyongsong | 2017-02-01 08:02